ベントレー創始者が成し遂げた最も偉大な業績は「戦闘機エンジン開発」だった!?

戦場のベントレー(Archive Picture : Chronicle / Alamy Stock Photo)



1918年、英国海軍航空隊はW.O.への感謝の心を抱いてBR1を受け取り、すぐさま高い信頼性と戦闘能力を発揮し、戦争終結までに約5000基が納入された。キャメル戦闘機には950基が搭載され、定期分解整備のインターバルは50時間に延びた。ブリッグスはすぐに改良型となるBR2の開発を命じた。BR1の部品も一部には使われたが、排気量は24.9リッターに拡大され、星形エンジンとしてはその時点で最高となる230bhpを発生した。

英国における民間、軍用双方の航空術でパイオニアとして知られるサー・セフトン・ブランカー少将は、「BR2はすべての英軍の戦闘機に搭載されるべきだ」と語っている。また1917年から2年間、西部戦線で海軍第三飛行中隊を指揮した飛行中隊長のレオナード・ロッチフォードは、彼の著作「私は空を選んだ」でキャメルとBR2に下記のように記している。

「それは安定しない機で、脚が離れたとたんに強力なエンジンが右方向に意地の悪い蹴りをくれる。しかしながら、どんな飛行機もそんな瞬時には操縦できるものではない。そして実は、それこそが空戦の際のこいつの大きな長所なのだ。私がフランスでキャメルで数百時間飛ぶ間、私を追尾できた独軍の戦闘機は一機もいなかった…」

実績、評価そして栄光
しかし、問題もあった。W.O.はフランスで実情調査任務に当たっていたとき、BR1の故障を耳にした。早速、彼は事故現場のひとつであったダンケルクの浜辺に駆けつけ、そこでオイルポンプのスプリングが固く作られすぎていて、圧が掛かると壊れることを発見した。彼は直ちに工場に取って帰り、一晩で適正値に鍛えられた新しいスプリングを作り、それを持って翌朝一番の駆逐艦で事故現場に引き返し、正規のスプリングを装着した。これで問題は解決したがW.O.は苦境に立たされた。彼は、これらに関する予算や海軍省の権限をまったく持っておらず、また駆逐艦の使用権限もなかった。W.O.は「このような非公式な方法も戦時には時として人命を救う正しいやり方である」と主張したものの、上層部から叱責を受けた。だが、W.O.は自身の行為に対してまったく後悔はしていなかった。彼の優先順位はまず搭乗員であり、事務方の役人ではないからだった。

「重い責任感が私を捉え、仕事をしているあいだ決して去ることがなかった…、エンジンの不調による搭乗員が戦死することが私の肩にのしかかっていた」

編集翻訳:小石原耕作 Transcreation:Kosaku KOISHIHARA Words : Steve Moody Colour Photography : Jamie Lipman Archive Picture : Chronicle / Alamy Stock Photo 取材協力:アラン・ボッドフィッシュ(W.O.ベントレー記念財団)、ヘンドン英国空軍博物館、ストウ・マリーズ第一次大戦航空博物館

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