アバルトが生み出した「フィアット124スパイダー」をシチリア島公道レースでテスト

トランクリッド、ハードトップ、ボンネットは、軽量化のためすべて薄いグラスファイバー製。シチリアのごつごつとした山並みがタルガの典型的な風景だ。(Photography:Olgun Kordal)



今、ケニーが所有する124スパイダーは、間違っても錆びついたオンボロなどではない。それどころか、ただの124ではなく、1972年に造られた希少なロードカー仕様のアバルト・ストラダーレだ。アバルト124スパイダーは、フィアットのホモロゲーション取得を目的に1013台製造された。その中でもケニーの車は、未レストアの最もオリジナルに近い1台と見られている。その証拠に、認証にやってきたアバルトのヘリテージ部門が購入を申し出たほどだ。私たちは、その貴重な車を山道で乗り回そうというのである。

紳士のための車検?
タルガ・フローリオ・クラシックは、金曜から日曜までの3日間のイベントで、木曜日に車検が行われた。会場となったパレルモ大学の航空学部の中庭には、スターファイターことロッキードF104-Sジェット戦闘機が展示されていたほか、校舎内にも1940年代のレシプロエンジン戦闘機のフィアットG59や、ヒストリックエンジンの見事なコレクションが並んでいた。面白いことに、このフィアットG59はロールス・ロイス製のマーリンエンジンを搭載していた。

こうしてゆっくり見学していられたのは、車検がシャシープレートしか確認しないような簡単なものだったからだ。シートベルトの装備すらチェックされなかった。ケニーはタルガのためだけにラップベルトを取り付けていたのだが、このベルトでは事故の際に額をダッシュボードに打ち付けるのが関の山なのは二人とも承知の上だ。

エントリーリストもミッレミリアほど厳格に制限されたものではなかったが、美しい車も多い。ヴィラデステでは常連のトップコレクターのコラード・ロプレストが、アルファロメオのプロトタイプを3台エントリーしており、中でもベルトーネの手になる1956年ジュリエッタ・スプリント・ヴェローチェが、パステルブルーと白のツートーンカラーで目を引いた。スイスの心臓外科医でザガート・エンスージアストのアクセル・マルクスは、堂々たるアルファ6C 1750ザガートで参戦。ほかにも、アルファGTAやジュニア・ザガート、ランチア・フルヴィアHFが脇を飾る。1939年フィアット・ザヌーシといった知る人ぞ知るマシンの姿もある。ただ、ジェンセン・インターセプター・コンバーティブルは少々浮いていたし、素性がはっきりしないジャガーDタイプもあった。

124アバルトはケニーのほかにも参加していた。完全なラリーバージョンは、イギリス人のミック・ウッドの車だ。ヨーロッパ本土からも2台来ていた。124アバルトが登場したのはタルガ・フローリオの末期である。フィアットの狙いは、タルガのようなターマックのイベントではなく、足元の悪い"本格的な"ステージラリーだった。それでも124アバルトは1974年のタルガ・フローリオで1601〜2000ccのグランドツーリングカークラスを席巻。クラス優勝を飾り、3〜5位を独占する大活躍を見せた。

木曜の午後はスタートセレモニーが行われた。エアアーチが設けられ、ハイテンションのコメンテーターが盛り上げる、いかにもイタリア人好みのイベントだ。ラリーが本格的に始まるのは金曜の朝で、最初のステージは島の北西端にあるタオルミーナからスタートする。そのため、木曜日はそこまでの長い移動ステージで幕を閉じる。アバルトにとってはちょうどいいシェイクダウンだ。ここ数年は数マイルしか走行していなかったが、ケニーお気に入りのエンジニア、スチュアート・ガーが、事前に徹底的な整備を済ませている。

編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curatorsLabo.) Transcreation:Kazuhiko ITO(Mobi-curatorsLabo.) 原文翻訳:木下恵 Translation:Megumi KINOSHITA Words:Mark Dixon Photography:Olgun Kordal

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