真っ赤なモンスター2台のワークス・ビッグヒーレー

左:1959年オースチン・ヒーレー3000"SMO 744"、右:1964年オースチン・ヒーレー3000"BMO 93B"(Photography:Matthew Howell)



史上最もタフなラリーでの勝利
スターリング・モスも妹に軍配を上げた。

「偉大なドライバーの印は、"リエージュ"と聞いて目を潤ませるかどうかだ」とスチュアート・ターナーは話す。「90時間以上、ほぼ4日4晩にわたって、休みは1時間だけだ。1日あたりではなく、4日間で1時間しか取れないんだ。最高にクレイジーで最高に魅力的だった」

アルトーネン/アンブローズ組がBMOで総合優勝を遂げる4年前に、パット・モスとアン・ウィズダムはオースチン・ヒーレーの栄冠の中でも特に有名なものをURX 722でつかんだ。その年、3100マイルに及ぶリエージュ-ローマ-リエージュに参戦した83組のうち、フィニッシュ地点にたどり着いたのは、わずか13組だった。

モス/ウィズダム組はイタリアを無事に切り抜け、東からユーゴスラビアへ入ると、再びイタリアへ戻る時点でトップに立ち、その座を最後まで譲らなかった。しかし、途中でギアボックス交換が必要となり、アロス峠では、彼らが走行中にもかかわらず、主催者がルートを一般に開放してしまうハプニングもあった。女性のみの組が国際舞台で総合優勝を果たすのは史上初めてのことだった。

ターナーも賛辞を惜しまない。「彼女たちのリエージュでの勝利は、歴史に残る"偉大なる走り"だった。たしか、誰かがスターリングに、ミッレミリアでジェンクス(デニス・ジェンキンソン)と挙げた勝利はスポーツカー史上最も偉大な走りだったと言ったことがある。すると彼は『いや、それは妹のパットがリエージュで優勝したときだ』と答えたんだ。まさにその通りだよ」

編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation:Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下恵 Translation:Megumi KINOSHITA Words:James Page Photography:Matthew Howell

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