21台のランボルギーニとイスレロが走る│猛牛のアニバーサリー・ツアー

Photography:Rémi Dargegen



幸いにも、ポロストリコのダークブルーの1976年エスパーダ・シリーズ3に乗っている時には、コンボイの間隔が大きく開くこともあった。この車は最近レストアされたものだったが、私の懐かしいシルバーのシリーズ2を思い起こさせた。ドライビングポジションは伝統的なイタリアンスタイルで、すなわちロングアームに対してペダルは近い。ステアリングホイールは奇妙なほど水平に近く寝ているように感じたが、それでも数マイルも走れば、過去最高の4シーターGTを運転することに夢中になっているはずだ。

ギアチェンジは私が持っていたシリーズ2よりも軽く感じられたが、最大の相違点はS3にはパワーステアリングが標準装備されていることだ。驚くべきことに、そのパワーステアリングは想像するよりもはるかにエスパーダにマッチしていた。アシストは可変タイプではないものの、操舵力は適切で米国車やジャガーV12のように軽すぎて不安になることはなかった。イスレロの場合は、長短両面を考えずにはいられなかったが、エスパーダについては、パワーステアリングは明らかな利点である。曲がりくねったイタリアのカントリーロードで長い、豪華な4シーターを自在に操るには実に有り難い装備である。

丘を縫うように走るルートでは、エスパーダのよりリラックスしたキャラクターが明らかになった。大らかな身のこなしは、波のうねりを乗り越えるスピードボートを連想させ、イスレロほど軽快敏捷な感じはしないが、そのボディサイズを考えれば依然として素晴らしいハンドリングマシーンである。もちろん、回した時のV12サウンドも堪えられない。エンジンはあなたが望む限り、まったく疲れ知らずに咆哮をあげ続けるのだ。

ツアーに参加したエスパーダのオーナーのひとりひとりがその証拠である。Octaneの寄稿者であり、You Tubeの『ハリーズ・ガレージ』でも有名なハリー・メトカーフは、彼のオレンジ・レッドのエスパーダS2で参加していたが、ここ数年だけでおよそ1万マイルを走ったという。しかも子供と散歩するように走ったわけではもちろんない。ラルス-エリック・ラーソンはごく初期型のS1(シャシーナンバー42)でスウェーデンからはるばる自走してきた。さらにリチャードとリンのブル夫妻は1977年から所有しているというS3で英国からやってきていた。「リチャードの仕事用のバン以外には、この車しか持っていないの。だから毎日乗っている。それこそ子供を学校に送るのも、金曜日の晩にパブに働きに行くのも全部よ」とリンは当たり前のように説明してくれた。



英国人カップルの話ももうひとつ。ロジャーとロージー・ウッズは黄色のイスレロSでツアーに参加していた。驚くべきことに、ある朝彼らはサポートカーのウルスに乗り、イスレロのステアリングを私に譲ってくれたのだ。リモンチェッロのように明るい黄色に塗られたウッズのイスレロは、その色だけで魅力的だったが、しかもより希少なSモデルだった。ということは、ミウラと同スペックのカムシャフトと高い圧縮比を備え、350psを生み出すパワフルなV12エンジンを搭載している。さらにこのイスレロは際立ったヒストリーを持っている。最初のオーナーはサー・ウィリアム・ガースウェイトで、彼はフェアリー・ソードフィッシュ複葉機によるドイツの戦艦ビスマルク攻撃戦に参加した海軍のパイロットだ。

「これはまったくコンクールカーではないよ。あまり素
晴らしく仕上げたら、使えなくなってしまうかもしれない」
とロジャーは言う。だが、コンクールデレガンスに参加するかどうかは別にして、その車は私がこれまで運転した中でも特別な魅力を備えていた。内装も外観もスタンダードのイスレロとはびっくりするほど異なっており、ダッシュボードはまったく別物に仕立て直されていたが、何よりも本当に特別である理由は明快だった。それはエンジンである。

ウッズの
友人が最近リビルドしたというそれは実に特徴的なエンジンだった。スタンダードのイスレロやエスパーダのエンジンより明らかにパンチがあり、低回転でのその鼓動はV12というよりV8のビートに似ていた。回転を上げると素晴らしい咆哮とともに自由自在のパワーを生み出し、曲がりくねった山道でも容易に自信を持って運転することができる。ギアシフトのストロークは長いが、シャープで確実であり、S仕様の大径ブレーキディスクはコーナー毎に繰り返し使っても音を上げることはなかった。その間ずっとV12の叫びが鼓膜を刺激しているのだから、ドライバーはもっともっとと駆り立てられる。このままだと中毒になってしまうかもしれない。

エスパーダ同様、イスレロのエンジンも信じられないほどの低回転からスムーズに加速する。どのギアを選んでいても、1000~1200rpmも回っていれば十分だ。だが、望めば回転計すべてを使うことができる。それも繰り返し、繰り返し、わずかなストレスもなく回るのである。

コンパクトなサイズとナイフのように尖ったフロントフェンダー、そして大きなウィンドーのおかげで、イスレロは現代の交通環境の中でもとても扱いやすい。実際に毎日使ったらどうだろうと考えてしまった。前述の映画(ドッペルゲンガー)の中で、ロジャー・ムーアはローバーP5Bに乗るエグゼクティブのハロルド・ペラムを演じたが、彼は野卑で不道徳なもうひとつの人格に苦しめられていた(ムーアの二役)。

そして、そちらのもうひとりのペラムはシルバーのイスレロSに乗っていたのだ。今の私には映画製作者がイスレロを選んだ理由が分かる。街の中では貴族的なローバーと同じぐらい落ち着いて見えるのと同時に、とんでもなくセクシーな存在感を放っているからである。

日常的な実用性について言えば、かつてヘセルタインと共同で所有していた私のエスパーダS2がオーバーヒートの兆しさえ見せなかったことにいつも感心していた。2014年のル・マン・クラシックに向かう途中で遭遇したルーアンの最悪の交通渋滞の中でも、まったく心配はいらなかったのだ。私たちの車が例外ではなかったことは、このツアーに参加したランボルギーニが証明してくれた。イタリアの夏の終わりの暑さの中でも、ただの1台もトラブルに見舞われず、3日間にわたる激しいドライブの後にも、まったく機嫌よく走ってくれた。確かに何台かはテールパイプから多少の煙を吐きだしていたが、スウェーデンのラルス-エリックが指摘したように、新車の時もそうだったのである。

50周年アニバーサリー・ツアーは成功裡に幕を閉じた。あえて改善してほしい点を挙げるとすれば、各車に配られたルートインフォメーション入りのiPadは、シンプルなロードブックに変えるべきだろう。バッテリー切れの心配をする
必要がないからだ。

とはいえ、オーガナイザーは素晴らしかった。何よりも、ランボルギーニのあまり人気者ではなかったモデルにスポットを当てたこのツアーのおかげで、その本当の魅力、そしてあの当時エスパーダがランボルギーニのベストセラーだった理由を改めて思い出すことができた。ミウラやカウンタックだけでなく、あるいは偏狭なコレクターだけでなく、そのさらに遠くを見れば、踏み固められていない道にも素晴らしいものを発見することができるはずだ。実際、このツアーに集ったオーナーたちは道を照らす先駆者たちなのである。

編集翻訳:高平高輝 Transcreation:Koki TAKAHIRA Words:Mark Dixon 

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