ベルト―ネの貴重な遺産の数々が眠る建物に潜入

ベルトーネ最後の遺産(Photography:Max Serra)



次に見たのは設計図面だ。ほとんどのものは何の車であるかネームすら付いていなかったが、中には謎めいたコード表示だったり、ブランド名がはっきり書かれたものもあった。それらの内容は千差万別。簡単なスケッチもあれば、詳細なテクニカル・スケッチもあった。新しめの書類のファイルを開くと、その中はほとんどがアルファ・ロメオで、アルフェッタの外装変更や1990年代のアルファGTが含まれていた。ラベルが何も付いていない引き出しの中にはミウラ、エスパーダ、ウラッコ、マルツァルがすべていっしょに入っていた。しばらく手を止めて念のためと思って見直してみたのだが、これらランボルギーニのフォルダーの中にはシトロエンBXも入っていた。そのときはなぜ?と思ったものだが、これがマルチェロ・ガンディーニの書類フォルダーだとすれば合点がいく。

1965年12月20日の日付の入ったミウラのテクニカル・ドローイングも発見した。ダラーラ技師は、彼が初めてミウラの図面を見たのは(まだベルトーネP400の名称だったが)1965年のクリスマスで、そのときサンタガータのランボルギーニ・ファクトリーは休日だったと私に語っていたことを思い出した。これですべてがわかった。ここにあるのはミウラ・ロードスターの詳細で、ミウラにするにはここからモディファイが必要だったのだ。

マルツァルは製作中の写真も含まれており、エスパーダも同様であった。これでマルツァルからエスパーダに至る開発プロセスは簡単に追うことができる。再びダラーラ技師の言葉を思い起こすと、彼はマルツァルのガルウィングドアがエスパーダに引き継がれたのかどうかをことさら知りたがっていた。ここにはそれぞれを詳細に記した膨大な量のスケッチがあるから彼の疑問も払拭できるだろう。

製図室はもうひとつあった。私はそこでカウンタックやディアブロの設計図を見たかったのだが、それはならず、その代わりにBMW E28の5シリーズのフェイスリフト・プロジェクトを見ることができた。さらに1969年に製作した、スパイダーでありながらクーペでもある美しいBMWスパイカップや1988年にランボルギーニのパーツを使って作り上げたジェネシスなどのワンオフモデルも目にしたし、のちにM1となって結実する"ランボルギーニ-BMW"には魂を奪われた。

フィアットX1/9とダラーラのためにデザインされたそのスペシャル・バージョン、製造されずに終わった何台かのアルファ・ロメオ試作車などもこの目で見た。そしてGTV。その最終的形態にいたるまでの開発過程のなんと興味深いことよ。フィアット131アバルトがベルトーネの手になるものであったとはここで初めて知ったし、実に美しいジェンセン・インターセプター・クーペやジャガーXJのリスタイル・プロジェクトには時間も忘れて見入ってしまった。


編集翻訳:尾澤英彦 Transcreation:Hidehiko OZAWA Words:Massimo Delbo Photography:Max Serra

無料メールマガジン登録   人気の記事や編集部おすすめ記事を配信         
登録することで、会員規約に同意したものとみなされます。

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

RANKING人気の記事