プリンス自動車のインサイドストーリー 第6回│プレミアムメーカーとしてのプリンス

Kumataro ITAYA



戦後の日本は米国に倣って文明国家への道を歩み続
けている。文明国家とは文化よりも文明を優先する社会である。戦前や江戸時代の日本は文明国家とはかなり異なる様相を呈していた。文化度は人々の日々の生活にも如実に表れる。西洋社会では、「衣食足りて礼節を知る」、が顕著で、貧しくとも礼節を知る社会があるとは信じられなかったことだろう。その信じられない社会こそ、かつての日本の姿だった。礼節とは美の範疇にあり、機能=文明に属するものではない。かつてこの極東の島国では、決して豊かとはいえない人々が、貧しい身なりながら清潔を保ち、なにより実に礼儀正しかった。特に江戸期から明治、昭和初頭にかけての日本は、奇蹟の国であると欧州各国に称賛され畏敬の念すら抱かせるに充分な資質を備えていた。これはとりもなおさず日本社会の持つ文化度の高さが、欧州を中心とした文化国を驚嘆させたからに他ならない。

文化を育むのは時である。文明は破棄と改革によって進化し、文化は保存と継続によって深化する。音楽等の記録媒体やコンピューターなどの進化過程をみれば、文明価値が破棄と改革によって進化していることが歴然である。一方、うなぎのたれやウィスキー、茶道や伝統芸能は保存と継続によって深化してきている。江戸時代のように平和な260年間は、世界にも例のない文化醸成の機会となったことだろう。



文化が育つのに時間が必要だとすると、歴史の浅い米国が、文化面で欧州に太刀打ちできるはずがない。米国は逆立ちしても文化で欧州にかなわない。その自覚の下に米国が打ち出したのは、文明という新たな土俵。破棄と革新が文明の礎だとすれば、そこでは米国にも勝ち目がある。こうして米国は、新しいことにこそ価値があるのだ、と、それ自体新しい価値観を周囲に布教してまわった。第二次大戦の勝者たる米国が、日本に押しつけたのが、この文明価値へのパラダイムシフトである。かくして、文化におけるトップランナーのひとりだった日本は、一転して米国同様、あるいは米国以上に文明偏重の社会へと突き進むことになる。 

如実な例をひとつだけあげるならば、ダウニング街
10番地、エリゼ宮、そしてホワイトハウスですら建て替えなどという馬鹿げたことは行なっていない。首相官邸を、機能を優先して全く新しく造り変えてしまった日本は、米国よりも文明偏重の社会であると断じることができるだろう。

いよいよクルマの話である。日本におけるクルマの立ち位置は悪である。この点が米国を含む西洋社会と大きく異なっている。ひどく乱暴だが、文化とは美の追求である、とするならば、悪が美を追求することは許されない。悪が社会に存在できるとすれば、それは必要悪として、くらいのものだろう。したがって、日本におけるクルマは必要悪そのもの、文化としてのクルマが容認される余地は少ない。日本社会においてクルマは、文化価値ではなく、主として文明価値で吟味される対象になっている。

たとえば、時速400キロを達成可能なクルマの価値の真髄は美にある。それは、単にモノとしてのクルマにとどまらず、究極をつくりあげる美学や叡智が授ける美である。だからこそ、それを所有する喜びが生まれる。たとえ免許がなくて操縦することができなくとも、世界最高速のクルマを保有していることによる充足感、それこそが、このクルマの提供する最大の価値のひとつであろう。ところが、日本では、時速400キロなど、どこで出すのですか、といった愚問が必ず発せられる。文明価値=機能価値=使用価値、でしかクルマの存在を捉えることができないのである。

こうした土壌が、この国に芳醇な文化的クルマを生まれにくくしている。もしクルマを「ラグジャリー」「スポーツ」「ライフツール」のカテゴリーに分けるならば、「ラグジャリー」と「スポーツ」は文化価値に軸足を置くべきもの、そして「ライフツール」は文明価値に重きをおいたものになる。クルマを悪とみなす社会では、本来文化的価値を体現したものであるはずのラグジャリーやスポーツのジャンルに入るクルマですら、どこか、生活の役にも立つから、といった言い訳を必要としてしまう。それが、日本のクルマに共通する、ある種の気質をつくりだしている。
 
ここで重要なのは、ニーズを掘り下げても、文明は
築けるが、文化を創造することはできない、ということ。米国的マーケティングから真の文化が生まれることはない。

文:板谷熊太郎(Kumataro ITAYA)

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