ジャガーの新しい出発点 "カー・ゼロ"|新型ライトウェイトへの挑戦

Photography: John Wycherley, Nick Dimbleby

コヴェントリーはブラウンズレーンの旧ジャガー本社工場で組み立てられた、全くの新車のライトウェイトEタイプを購入することができることになった。オクタンの独占取材レポートをお送りする。

"カー・ゼロ"
朝、7時30分。ウィリアム・ライオンズが彼のスワローサイドカーカンパニーを創業の地ブラックプールからコヴェントリーに移した1928年の最初の拠点。また、SSやXK、XJなど、ジャガーの今日をもたらした幾多の名車たちを生み出したジャガーの象徴たるかつての本社ブラウンズレーンのゲートでは、警備員が私の取材許可を確認しようとコンピューターと格闘中だった。ちょっとした手違いはあったが、バーミンガム人のジョークに救われ、取材班はジャガーのヘリテージ部門が数日後に新事業を展開する建物に入ることを許された。ここには極めて特別なモデルが待っている。1974年9月以来初めてブラウンズレーンで造られる新車のEタイプ、しかもたった6台だけ組み立てられ、選ばれた顧客だけに販売されるライトウェイト・レーシングEタイプだ。

話は1963年に遡る。ジャガーはEタイプの特別仕様、ライトウェイト・レーシングモデルを18台製造することを計画したが、事情によりそのうちの12台だけを完成した。40年後、その完成されなかった6台を補完する計画が持ち上がった。それらのシャシーナンバーには、1963年に用意されながら、使われずにいた番号が振り当てられる。価格に関してジャガーは口が重かったが、一説には400万ポンド以上だともいわれている。また6台は既にすべて完売し、その全部がレースに使われるだろうとも聞いている。

このプロジェクトのプロトタイプは現行車とは異なり、新規のシャシーナンバーを使わないのでジャガー社ではこれを"カー・ゼロ"と呼ぶ。しかしそれにはより深い意味があるようだ。ジャガーでは、今後、ヘリテージ部門でレストレーション事業の展開や、クラシックモデルの復刻など、新しいビジネスを継続する可能性があるが、それらヘリテージビジネスの象徴として、このライトウェイトはジャガーブランドにおける今後の新しいビジネスの方向のアイコンとなり得る。即ちこれは単なる"カー・ゼロ"ではない。ジャガーのヘリテージ部門に於いては、これは出発点、即ち"グラウンド・ゼロ"なのだ。

未完の計画
最良の計画というものは、いつの場合もほとんど不可能に近いデッドラインとの戦いを強いられるものだ。このライトウェイトプロジェクトの推進役であるデイビッド・フェアベーンは"カー・ゼロ"製作のゴーサインが出された日を忘れない。それは2014年の1月27日のことで、取材時では1年も経っていない。

デイビッドはこう回想している。

「私はこの案件に付かず離れず、4年間取り組んできた。あれはパブでのつまみ話のひとつだったんだ。誰かが言った。あの使われていないシャシーナンバーはどうするんだ、本来の目的を果たすべきなんじゃないのかとね。もともとEタイプは常に私の夢の車だった。特にオリジナルのライトウェイトの、すべてがビスポークで特別に造られたところが気に入っていたんだ。当時、私はスタイリング部門のイアン・カラムと一緒に、コンセプトカーの仕事をしていたが、余暇や週末を使ってウェイトの件は継続していた。色々な人達に会って可能性を模索したよ。噂が広まっていたのだろう、私が、今回ライトウェイトにエンジンを供給するクロスウェイト&ガードナーを最初に訪問した時、即座にいわれた。『あんたが例のアイルランド野郎だな?噂は聞いているよ!』って」

「その後、私はスペシャルオペレーション部のヘッド、ジョン・エドワーズに6台のライトウェイトを新規に製作、販売するビジネスプランについてプレゼンテーションした。それがウチの新しいヘリテージ部門に信憑性を与え、ヘリテージセンターのコレクションを完成させるだろうことを説明した(注:450台を所有していた)。最近、ジャガーは有名なジェームス・ハルの膨大な英国車コレクションを購入した。それにはウィリアム・ライオンズ自身のマークXすら含まれていたけれど、それでもライトウェイトはなかったんだ」

編集翻訳:小石原 耕作 Transcreation: Kosaku KOISHIHARA  Words: Mark Dixon 

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