神聖化された3台のアストンマーティン「DP」シリーズの一斉テストでわかった事実

Photography:Matthew Howell Period images courtesy Brian Joscelyne, Neil Corner and Paul Chudecki



ほとんど手探りの計画だったが、アイディアが生まれてからわずか5カ月後のル・マンにはDP212が姿を現した。才気あふれるレーシングカー・デザイナーであるテッド・カッティングが生み出したマシンは、4リッター・エクスペリメンタルクラスにエントリーされた。それはさらに軽量の20ゲージ・マグネシウム・アルミニウム合金製(0.8mm厚)の、まったく新しいスラリとしたボディを持っていたが、シャシーやメカニズムの大部分はDB4GTと似通っていた。ホイールベースは1インチ(25.4mm)だけ伸ばされ、軽量のボックスセクションがアルミフロアパンにリベット留めされていた。フロントサスペンションはDB4GTそのまま、リアサスペンションは1961年のラゴンダ・ラピードから移植したド・ディオンアクスルとトレーリングリンク、ワッツリンクで構成されていた。エンジンの排気量は3670ccから3996ccに拡大され、ウェバー50DCOキャブレター3基によって、330bhp/6000rpmを生み出した。変速機はマグネシウム合金のケースを持つ5段フルシンクロのデイヴィッド・ブラウンS532型、これはDBR2レーシングカーと同じものである。ブレーキはフロントが 12インチ( 305mm)径、リアは11.7インチ径のディスクで、16×51/2ボラーニ・ワイヤホイールに前600、後ろは650セクションのタイヤが装着された。プロジェクト212として知られるマシンの全長は14フィート6インチ(4420mm)、幅は5フィート6インチ(1680mm)、全高は4フィート2インチ(1270mm)、乾燥重量はDB4GTザガートよりもさらに180kgも軽い975kgだった。

初めて実際に走り出してからわずか2週間後、シャシーナンバーDP212/1はリッチー・ギンサーとヒルによってル・マンのクォリファイで5番手を獲得するという上々の滑り出しを見せた。しかしながら両ドライバーともに高速安定性には不安を抱いていた。MIRAの風洞実験でDP212は175mph(約281km/h:ル・マンでの最高速)時に225kg以上という過大なリアエンド・リフトを示していたのだ。そのために小さなリアスポイラーが追加され、フロントのリフトを打ち消すためにノーズ部分も長く低く改良された。ちなみにこれらは1963年ル・マン用に製作された3台の新型にも採用されることになる。

大急ぎで造られたにもかかわらず、212は予想以上のスピードと可能性を示した。新しいアストンマーティンのデザインは見事に的を射ていたのである。

編集翻訳:高平高輝 Transcreation:Koki TAKAHIRA Words:Paul Chudecki 

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